小説(ノベル)
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キツツキ、翔んだ (完結作品)
作: 関谷俊博
- カテゴリ:児童文学
- 投稿日:'15年9月27日 07:19
- ページ数:0ページ
- 表示回数:890回
- 総合評価:0
- この小説(ノベル)へのコメント:0件
コチコチに冷えた空気が、窓からしのびこんでくる。
五秒、十秒、一分、二分……。
やがて、鼻のおくがつんとしびれて、めがしらがじんと熱くなる。
五分、十分、十五分……。
それでもぼくは、窓を開けたままでいる。窓の外は、幹に霜をはりつかせながら、りんとして立っている冬の森。
「おはよう」
ふと思いついたぼくは、声にだして言ってみた。
答えはなかった。
ひょっとしたらぼくの「おはよう」は、声にだしたとたんバリッとこおりついて、窓からころげ落ちてしまったのかもしれない。窓の下には「おはよう」のかけらが、こなごなにちらばっているのかもしれない。
そう思って、窓から身をのりだしてみたけれど、もちろんそこにはなにも落ちていなかった。
当たり前だ。
ぼくの「おはよう」は誰にも届かない。
「おはよう」と声をかける人なんて、ぼくには一人もいないのだ。
一年前の冬、ぼくはこのうちにやってきた。
「孝太くん、だったな。気に入ったよ。きみのこと」
あの日、いきなりぼくを書斎に呼びつけて、坂口さんは言った。
冗談みたいに大きな書斎机の後ろで、坂口さんは葉巻をくゆらせていたっけ。まっ赤なじゅうたん。豪華なシャンデリア。
なにからなにまで「金持ち」そのものに見えた。
なぜか窓がぜんぶ開いていて、ぼくはがたがたふるえながら、坂口さんの前に立った。
「似てると思わないか?」
「なにが?」
「わたしときみだよ」
坂口さんが、葉巻の煙をふーっとはきだした。
ぼくは、坂口さんをにらみつけた。ぼくとこの人がにてるなんて思えなかった。ぼくは金持ちだとか、なに不自由なく育ったやつだとかを憎んでいた。
「そうそう。その目だよ」
坂口さんは、満足そうにうなずいた。
「ところできみ。学校は好きか?」
とつぜん、坂口さんがそうきいてきた。
「あんなとこが好きなやつは、みんなどこかおかしいんだ」
「よろしい」
坂口さんは、ますます満足そうに笑いながら、
「わたしも学校は馬鹿が行くところだと、そう思うよ。なにも無理して行くことはない。いい家庭教師がいる」
坂口さんが立ちあがった。たるんだ腹がだぶだぶゆれて、ぼくは思わず目をそむけた。開け放した窓のところまで行くと、坂口さんはふりかえって、ぼくを呼んだ。
「ちょっとこっちへ来なさい」
ぼくが横に立つと、坂口さんは言った。
「みえるか」
「なにが?」
「あの森の木が、さ」
「そりゃあ……見えます」
「すばらしいだろう。どんなに寒くても森の木は、何にも寄りかからず、まっすぐに立っている」
ぼくは坂口さんの顔を見上げた。だらしなくゆるんだ二重あご。死んだ魚みたいな目。とてもこんなことを言い出す人には見えなかった。
「いいか。ごちゃごちゃ寄り集まるのは、人間のクズのすることだ。きみはきょうからこのうちの人間になるわけだが、わたしのことを父さんなどと呼ぶ必要はない。わたしときみは親子にはなれない」
坂口さんの言っていることが、ぼくにはよくわかった。
「そのかわり、ここにいればたいていのものは手に入る。お金のことは心配いらない。必要な教育だって受けさせる。だからきみは、あの森の木のように生きるんだ。いいね」
正直いって坂口さんのことは、好きになれなかった。
だけどそんなことは問題じゃない。
いくつもの会社を経営している坂口さんは、ぼくと顔をあわせることがほとんどなかったし、手伝いの吉永さんはもうよぼよぼのおばあちゃんで、三度の食事のほかはずっと自分の部屋にこもりっきりだ。
このうちの人間になれたのは、ぼくの数少ない幸運のうちの一つだと思う。
それまでぼくがいた施設には、ぼくと同じように両親のいない子がたくさん集められていた。里親がうまくみつかれば、その子は施設を出る。
たいていの里親は「明るく」て、「はきはき」した子を欲しがっていた。ぼくは施設がきらいだったので、一生けんめい、そんな子を演じてみせた。
それは、操り人形のダンスのようにぎこちないものだったけれど、何人かの里親が、ぼくを気に入ってくれた。
しかし、実際の生活となると、ぼくは里親とうまく心をかよわせることができなかった。
本当のぼくは、「明るく」「はきはき」なんてしていなかったのだ。
そして、あるときから、ぼくは「明るく」て「はきはき」した子を演じるのをやめた。暗くて、ひねくれていて、なまいきな自分を、そのままさらけだすようになった。
学校へ行くのもやめて、ぼくには「問題児」のレッテルが貼られることになった。
そうして、ひさしぶりに決まった里親が、坂口さんだったってわけだ。
ここへ来て、ぼくは今とても満足している。
このうちからは、まわりをぐるっととりかこんだ森とコンクリートの塀のせいで、外の景色はほとんど見えない。鉄格子のような門の哲柵のむこうには、乾いたアスファルト道路が通っているけれど、そのまた向こうに見えるのは、ここと同じような同じような大きな森だ。
ここでは演技など必要ない。
ぼくは思う存分「ぼく」でいられる。
ここはぼくだけの世界。
だけどこの日、窓を閉めようとしたぼくは、森の木の合間をちらちらと白いものが動いているのに気がついた。
ぼくは、はっとしてそれを見守った。
人だ。白いコートを着た若い女の人。だんだんこっちへやってくる。
その人はやがて、ぼくの窓のすぐ下で立ち止まった。
「あいかわらず、おっきなうちねえ」
白い息を吐きながら、女の人はぼくを見上げた。
女の人は蓮見さんといった。
蓮見さんは、ぼくの新しい家庭教師だった。
家庭教師は、この人で五人目だった。たいていの家庭教師は、ぼくのわがままに怒りだし、あきれ果ててやめていく。ここんとこ来なくなったと思っていたら、なんだ、また来たのか。ご苦労なことだな。
このうちにくる家庭教師がみんなするあの質問を、やっぱり蓮見さんも口にした。
「あんた、学校はどうしてるの?」
「ぼくは重い病気でここから外へ出られないことになってる。学校も行ってない。だから家庭教師がいるのさ」
この質問は五回目だ。ぼくはマニュアルを読み上げるように、すらすらと答えた。蓮見さんは「なるほどね」という顔でうなずいた。
「あんた、もし学校通ってれば何年生なの?」
「六年生。来年は中学だよ。行くつもりないけど」
「ふーん」
蓮見さんは、大学で古生物学を勉強していた。化石を調べて、大昔の生き物の生態やどのように進化したかを研究するのだ。
「化石だけじゃなくって、いろんな石とかもね。好きだから集めているのよ」
石ころが好きな女の人なんて、ずいぶん変わっている。もっとも同じ石ころでもダイアモンドなんかだったら、たいていの女の人は好きだろうけど。
「この部屋、たくさん本があるわね」
「みんな坂口さんの本さ」
「坂口さんって、あんたの…」
「坂口さんは、坂口さんだ!」
しまった。思わす大きな声がでてしまった。蓮見さんは、肩で大きくため息をついた。
「やめてった人からきいてたけど、やっぱりあんたって変わってるのねえ」
変わってるのはあんたのほうでしょう、と言いかったけれど、ぼくはがまんした。
やがて蓮見さんは、とんでもないことを言いだした。
「ねえ。これからどこかに遊びに行こうよ」
まいったな。これはぼくにとって、本当にとんでもないことだ。
「なんだよ。あんた、ぼくに勉強教えに来たんだろ」
「勉強もいいけどさ。たまには外に出ないと、もやしみたいになっちゃうよ。あんた、顔青白いしさ。いやなの」
「いいけど…」
ごくは顔をしかめた。
「庭までだよ」
蓮見さんは首をかしげた。
「どうして? どうして庭までなの?」
「庭の外には鬼や悪魔がいて、一歩出たとたん、ぼくは食い殺されちまうからさ」
蓮見さんはいっしゅんあっけにとられ、それから思いっきりふきだした。
「なに、それ」
げらげら笑っている。
「あんたってうわさ以上の変わり者ね」
思いきり笑ってしまうと、蓮見さんは言った。
「庭まででもいいよ。少し歩かなくちゃ。そのうちほんとに歩けなくなっちゃうよ」
蓮見さんといっしょに、ぼくは庭へでた。
こおりついた冬の森を、ぼくは蓮見さんと歩いた。こんなのも悪くないな、とぼくは思った。一人もいいけれど、こんなふうにときどきいっしょに庭を歩く人がいるっているのも悪くない。
やがて春がきた。
あれから蓮見さんは、三日に一度は必ずうちにやってくる。
ぼくも蓮見さんには、あまりわがままを言わなかった。
ふたりともなんとなく気が合ったし、ときどき男の子みたいな口のききかたをするけれど、蓮見さんはぼくがいままで出会った中でいちばんまともな人間だと思う。
きょうもぼくたちは、庭を歩いている。
「だいぶ顔色よくなったよ」
蓮見さんが立ち止まり、ぼくの顔をのぞきこんで言う。
そりゃそうだ。これだけ歩けば顔色だってよくなる。
だけどぼくは、あいかわらず庭の外へは出なかった。
蓮見さんが帰るとき、ぼくは必ずみおくったけれど、それもあの門の少し前までだった。
「ここまでしかおくれないよ」
というと、蓮見さんはいつもへんな顔をした。
ぼくだって本気で、このうちの外に鬼や悪魔がいると信じているわけじゃない。ぼくはここから外に「でられない」のだ。
そのことに気づいたのは、半年前だった。
それまでは「でられない」のではなく、「でない」だけだと思っていた。
その日ぼくは、窓から紙飛行機を飛ばして遊んでいた。どれもなかなかうまく飛ばない。森の前の芝生に、白い紙飛行機がてんてんとちらばった。こんなのはべつにかまわないのだ。どうせ吉永さんが片づけてくれる。
ところがあれは十機めだったか二十機めだったか、ものすごくよくとんだ紙飛行機があった。紙飛行機は風にのって、ぐんぐん飛行距離をのばし、とうとう門を越えてアスファルト道路にぽとんと落ちた。
ぼくはその紙飛行機がとてもおしくなった。
でもいざ紙飛行機を取ろうとして門に近づくと、それだけでぼくの足はがたがたふるえはじめたのだ。そしてとうとう、ぼくの足は止まってしまった。
あぶら汗を流しながら、ぼくはもういちどふみだそうとした。
一歩も動けなかった。
蓮見さんが大きな黒い箱をかかえて、部屋に入ってきた。
蓮見さんは机の上に箱をおろすと、いたずらっぽく笑ってそっとふたをあけた。
なかからあらわれたのは、ラグビーボールくらいの黄色くくすんだ卵だった。
「なんの卵?」
とぼくはきいた。
「恐竜の卵」
「はは、まさか」
「うそはいわないよ。これはいまから七千年前、白亜紀後期の恐竜の卵の化石」
「ほんとうかなあ」
「疑り深いわね。ほら、もってごらん。落とさないように」
蓮見さんからぼくは卵を受け取った。卵はずっしり重かった。
「すごいだろー。この中には、恐竜の赤ちゃんも入ってるんだ」
「重いよ」
とぼくはいった。
「うそじゃないのはわかったよ。おろしてもいいだろ」
「なによ。だらしがない。ちゃんと運動しないからだよ」
ぼくは箱の中にそっと卵をもどした。
「白亜紀後期っていうのは、恐竜が絶滅してった時代なんだけど、そのころの卵はすごく殻がうすいのよ。これじゃ、なかの赤ちゃんは骨格をつくるカルシウムを吸収できなかっただろうって」
「へえ」
「だからこれは絶対にかえらない卵」
蓮見さんはそういって、さみしそうに笑った。
その日もぼくらは庭を歩いていた。
とつぜん、蓮見さんが立ち止まった。あれ、へんだぞ、とぼくはすぐに気づいた。蓮見さんは、いつになくまじめな顔をしている。
蓮見さんがぼくの手をぎゅうっとにぎりしめた。
そして、ぼくをぎゅうぎゅう引っぱって歩きはじめた。
「やだ。やめろ!」
蓮見さんがなにをしようとしているのかわかって、ぼくは声をあげた。
ぼくをつれて、あの門の外へ出ようとしているのだ。
「やめろよ、蓮見さん。じょうだんだろ」
いくらさけんでも、蓮見さんはやめない。口をきっとむすんだまま、ぼくをぐいぐいひきずっていく。
蓮見さんの手をふりきって、ぼくはその場にひっくりかえった。
「さあ、立って」
すぐに蓮見さんの手がのびてきた。その手をぼくはふりはらった。
蓮見さんはかまわず、もういちどしっかりとぼくの手をとった。
「だめになっちゃうんだ。あんた、このままここにいたらだめになっちゃうんだ。それよりも鬼や悪魔に食われたほうがいいんだよ」
ぼくをずるずるひきずりながら、蓮見さんはしゃべっている。
門がどんどん近づいてきた。
足ががたがたふるえはじめた。
「お願い! やめて!」
ぼくは、わーわー泣きだした。
そのとき後ろで声がした。
「よしてくれないか。その子はいやがってるんだから」
坂口さんだった。
蓮見さんの手がゆるんだ。ぼくはすかさずぬけだして、坂口さんのほうへ駆けた。坂口さんの後ろにかくれて、ぼくは蓮見さんに思いきりあかんべーをしてやった。
「どうも、すみませんでした」
蓮見さんは坂口さんにぺこりと頭をさげると、門から外へでていった。そしてそれきりもどらなかった。
蓮見さんがぼくの家庭教師をやめたことを知らされたのは、それから三日後だった。
やがて五月になり、庭の森の木がいっせいに葉をひろげはじめた。まるですばらしい手品を見ているみたいだった。
蓮見さんはあれきり姿を見せなかったけれど、ぼくはひとりでもくもくと庭を歩きつづけた。そして、ある日、一本の木にコゲラの巣を見つけた。
幹のまんなかあたりにぽこっとあいた巣穴から、たくさんのさえずりの声が聞こえる。そして親鳥がいそがしくその穴を出たり入ったりした。とうとう見つけたぞ、とぼくはうれしくなった。だいぶ前から、コツコツと幹をたたく音が森いっぱいにこだましていたのだ。
そのうちひな鳥たちは、飛ぶ練習をはじめた。
だけど一羽だけ、どうしても飛べないひな鳥がいた。そいつは、いつでも巣穴からちょこんと顔をだして、兄弟たちが飛ぶのをながめている。
毎日みているうち、なんだかおかしなぐあいになってきた。そのひなの姿が、窓から外をながめている自分のように思えてきたのだ。
なんだかぼくはおそろしくなった。
ぼくは本当にここで死んでいくのだろうか。このうっそうとした森にかこまれて、ひっそりと。
外へでてみよう。
こんどこそぼくは本気でそう決心した。門にむかって歩きはじめると、すぐにどっと汗が流れはじめた。足がガタガタふるえて、吐き気がした。あっ、森じゅうの木が、いっせいに倒れてくる!
ぼくはあきらめて、うちへもどった。
ぼくは夢をみていた。
大きな卵のなかにいるのは、恐竜ではない。コゲラになった小さなぼくだ。
コツコツコツ、コツコツコツ。
ぼくはいっしょうけんめい、くちばしで殻を破ろうとするのだが、卵はかたくて外に出られない。
いや、卵がかたいんじゃない。ぼくに力がないのだ。
コツコツコツ、コツコツコツ……。
となりの部屋をノックする音で、目がさめた。
となりは坂口さんの寝室だった。なんだ、帰ってたのか。でも自分の部屋のドアをノックなんてするもんだろうか?
ぼくは壁に耳をつけてみた。
ぼそぼそ話し声がする。やっぱり、坂口さんのほかに誰かいるのだ。でも、めずらしい。このうちにお客が来るなんて。
もっとよく声を聴こうと、ぼくは廊下にまわった。
となりの部屋のドアはかすかに開いていた。
部屋には、ナイトガウンを着た坂口さんと、女の人が一人。
蓮見さんだった。
「あの子をどうするつもりなの?」
蓮見さんはしゃべっていた。
「べつにどうこうするつもりはない」
坂口さんは苦りきった表情で答えた。
「だったら、なぜこのうちにとじこめておくのよ」
「べつにとじこめてなんかいない。ここにいるのも出ていくのもあの子の自由だ」
どうして蓮見さんがこんなところにいるのか、ぼくにはわからなかった。だけど「あの子」というのは、どうやらぼくのことらしかった。
「あの子は、このうちから外へ出られなくなってしまったのよ。どうして?」
「そんなこと、わたしにはわからん。おまえこそ、人の心配ばかりしているが、これからどうするつもりなんだ」
「働くわ」
「おまえはわたしの会社を継ぐ。それが学費を出す条件だったはずだ」
「あの子の家庭教師をただで引き受けたのも、あなたに学費を出してもらっている引け目があったからよ。だけど、それももう終わり。申し訳ないけれど、あなたの会社を継ぐ気はもうないの」
「大学はどうする気だ?」
「休学する。働いて、これまでかかった学費は返すわ。当面の生活費が貯まったら、奨学金をもらって、また大学に戻るつもりよ」
「誰の世話にもならないというわけか。似ているな、やはり」
坂口さんはくりかえした。
「似ているんだよ。わたしもおまえもあの子も」
「似ていないわ。それぞれ別の人間よ」
「あの子には、誰かに好かれようとする気がない。誰かに甘えようとする気もない。そこがわたしは気に入った」
「やっぱりなにか考えているのね。あの子をどうするつもり?」
「わたしの会社の一つを継がせるつもりだ。なに、この敷地の外に出られなくても、ちっとも構わない。必要なことは、ぜんぶ秘書がやってくれる」
つぎに蓮見さんの口から出てきたのは、とんでもない言葉だった。
「少しも変わってないわね、お父さん。お母さんがでていったわけがよくわかるわ」
ぼくは、ガーンと頭をなぐられたようなショックを受けて、ふらふらと立ち上がった。それでも、二人から目を離すことができなかった。
やがて、蓮見さんは言った。
「ひとりぼっちのさみしいお父さん。もうここへは来ないわ」
「そうかもしれん」
坂口さんは弱々しく笑った。
「わたしは、おまえたちのかわりが欲しかったのかもしれないな」
あくる朝、ぼくがコゲラの巣をながめていると、門の外から蓮見さんがやってきた。
「あのひなが」
ぼくは蓮見さんをふりかえった。
「飛ぼうとしないんだ」
コゲラのひなは、あいかわらず巣の中にいた。
「ずっと見てるのに、飛ぼうとしないんだよ」
「そう」
蓮見さんは、哀しそうに目をふせた。
「きょうはね。さよならをいいにきたの」
「そうか。さよなら、か」
「きいてたでしょ。きのう」
「うん」
「べつにかくすつもりじゃなかったんだけど、ごめんね。あたし、大学を休学して働くの」
「せっかく行ったのに。好きなんだろ。石ころが」
「でも、もうがまんできないもの。これまであの人のお金で通ってたんだけど……。働いてそのお金も少しずつ返すの。だから、もうここへは来ないよ」
「そうか。じゃあ、さよならだね」
「ええ。さよなら」
そう言い残すと、蓮見さんは門から外へ出ていった。
もういちどぼくは、コゲラの巣を見上げた。そのときだ。
「あ!」
飛べなかったひな鳥が、巣穴から飛び立つところだった。
ひな鳥はすっと地面に落ちかけたが、すぐに、元気よくはばたいた。うれしそうに巣のまわりを飛びまわっている。
「蓮見さん!」
このことを蓮見さんに知らせたくて、ぼくは走った。
「飛んだ! 飛んだよ!」
そしていつのまにか、ぼくは出ていたのだ。あの門の外へ。どうしても出ることができなかったあの門の外へ。
あたりまえのことだけれど、そこに鬼や悪魔なんていなかった。蓮見さんの姿もない。
ただ、陰気な灰色のコンクリートの塀だけが、どこまでも続いていた。
※この小説(ノベル)"キツツキ、翔んだ"の著作権は関谷俊博さんに属します。
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